めい記

塾講師やら家庭教師やらたまに占い師やらしてる人が適当につぶやく所。

…ああ、亡くなったんだ

金曜夕方。
母からメールが入りました。

叔父(父の妹の夫)が他界したと。

名前見てキョトンです。
おじさんだよね?間違いじゃないよね?え?

仕事をちょっと抜けさせてもらい母に電話。
間違いなく叔父でした。急病で入院して5日で亡くなったと。

5日…。
父は入院して2ヶ月、それもあっという間ではありましたけど、それどころじゃない…。

ひとまず葬祭会場を聞き、「あんたは遠いから無理してこなくてもいい」と言われ(叔父の家は岐阜県内)、
なら弔電だけでも手配するから、と母に伝え、
ついでに妹に電話、こっちも情報を聞き、
土曜日母を乗せていってくれるとのことで気をつけてと話し、

「おじさんいくつだったっけ?」
「ケイコさん(母)よりは10歳位若くなかった?」
「だったら70前?」
「ぐらいじゃなかったっけ…」

などと。

母が自分の病気のことや身内の闘病のことも含めて参ってるって話をしてましたが、
「あんたがそこでグダグダ言ってたら問題解決するのか!」
と妹が一喝してくれたらしく、
「私の分も言っといてくれw」
と頼んどきましたが。

 

父が亡くなったとき私が19で大学2年、
妹が16で高校1年。
私らはそんな時期に「父があっという間に亡くなる」ことに直面したためか、
そこらのことは変に達観してるところがあります。

年齢から考えたら、妹のほうがきつい思いはしてたんでしょうけど。

 

帰宅して、ネットより電話のほうが手配速いか、と思い電報115に。
送り先と私の名前、喪主である叔母の名前を伝え、
文例をオペレーターさんに読み上げてもらった、その瞬間に、

ああ、おじさん本当に亡くなったんだ

と一気に感情に来ました。
泣きませんでしたけど。泣けませんでしたけど。

 

今後色々大変になるのは、叔母ももちろんそうですけど、
跡継ぎ(叔父が小さい会社をやっているので)になる従弟でしょう。
ねぎらいに行けないのが少し心残りです。

 

私は、少なくともあと7年は生きないといけない、と覚悟はしています。
幸いにも手術とかはあるものの大病はしてないし、
幸か不幸かあとを気にする子どももいません。

あと7年したら、父の年に追いつきます。

父が亡くなった年までは生きて、
娘二人を残して去っていかなければいけない無念はどれほどだったのか、
それを感じなければいけないんだと思っています。

死ぬのは別に怖くありません。
ただ、だからこそいただきもので預かり物のこの命は、
きちんと使い切ってお返ししなければいけないんだ、
そんなふうに思っています。

生きてやります。絶対に。