葬送
今週は事実上の休みだった火曜日から、もう動く気力も起きず、
ただ叔母の容態の連絡を待つのみでした。
仕事はとても行けず、結果ダンナにまるっと任せorお休みに。
来てほしくなかった連絡があったのは、まず金曜夜。
自宅近くに再入院した叔母の容態悪化の連絡で。
そこから一睡もできずに迎えた土曜、朝6時になる前。
母から電話がありました。亡くなったと。
私の自宅から叔母の家まで、乗り継ぎが上手く行ったとしても5時間。
とりあえず土曜日中に名古屋に入ることにして、移動しました。
↑これが土曜の夕方です。
素直に言いますと、訃報を受けたあとなぜだか力が抜けてしまい、
数時間寝入ってしまったんです。
後でこれを言ったら妹は、「きっとレイコちゃん(叔母)が寝てろって言ったんだわ」と。
夕暮れ時に名古屋に着き、実家に移動。
勝手に布団出して休んでて、という母の伝言に甘えて休憩してました。
母が帰ってきたのが10時頃だったかな。
あれこれ世話を焼こうとする母を抑えてとりあえず自室に引っ込ませ、
私たちも仏間で寝てました。
気持ちは妙に落ち着いてました。
余命1年とか、今月中とか伝えられたときのほうがよほど動揺してました。
翌朝。
進路決定に大きく関わる期末試験を翌日に控えた上の姪っ子は、義理の弟の実家へ。
母+私ら夫婦+妹夫婦+下の姪っ子で岐阜県某所へ。
鮎釣りもできる渓流の町へ。
従兄弟たち+その娘たちとも合流。
母たちはよく顔を合わせていたとはいえ、こんな形で、
しかも母の末の妹である叔母の葬儀とは思いもよらずで。
66歳、でした。
6人兄弟の2番目である母が76歳なんで、年齢的に不思議ではないんですが、
もっともっともっと、見送るのは先のことだと思ってました。
母の姉妹の中で、一番良く笑う人でした。
息子(私たちの従弟)を女手1人で育てた苦労人のはずなのに、
まるでそれを感じさせない人でした。
…こうやって改めて書き出すと、寂しくなりますね。
そっか、もういないんだ…。
本当に慌しい、あっという間の二日間でした。
いま自宅で落ち着いてると、夢だったんじゃないかと思えるほどの。
父のときもそう思ってたけど、現実なんですよね。
きっと後から現実味が増すんだと思います。
「ありがとうって言ってきます」とFacebookに書き込んで出た土曜日。
眠る叔母を前に、何も言えなくなりそうになった告別式。
崩れそうになる母をとっさに支えにいった出棺前。
そして帰宅してPCに向かう、今。
また明日から日常が始まります。
先週まともに動けなかった分を取り戻しに。
何一つ悔いなく終わる人生などないでしょう。
ならばせめて、それを出来る限り少なくできるように。
先に行った人に顔向けできる自分でいられるように。
生きます。約束ですから。
ありがとうレイコちゃん。
私は、大丈夫です。