私たちは生きなければいけないのだから。
森山良子さん。
お父様は日本人の両親を持ちながら、アメリカで生まれたため米国籍だったジャズトランペッター、森山久さん。
ニューヨーク市場株価大暴落の煽りを受けて授業料が支払えなくなり、在籍していた大学を退学。そして来日。
人気ジャズマンとなったものの、太平洋戦争開戦で国籍を日本に変更。南方慰問団に徴用され、その後連合国軍向けプロパガンダ放送「ゼロアワー」の演奏責任者に就任した。
終戦後、南方慰問団の行動により戦犯容疑をかけられ、収監ののちに釈放。しかし、ゼロアワーのアナウンサー、通称「東京ローズ」の一人、アイバ・戸栗・ダキノの裁判で証人として呼ばれる。だが、久さんは一切証言しなかった。
アメリカでは太平洋戦争開戦から2ヶ月で、日系人の強制収容が始まった。米国在住だった日系人は軍に志願したものが多く、非業の死を遂げた者も多い。
(以上、「[ファミリーヒストリー 【森山良子〜日系2世の父 2つの祖国のはざまで〜】 ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)」を参照、及び引用)
終戦後、まだ若い森山良子さんのお兄さんが亡くなられた。
良子さんとお母様はお兄さんの死を受け入れられず、お母様はまるでお兄さんがその場にいるように会話を始めた。
そこでお父様、久さんは、こう話したと言う。
「あの子は帰ってこないのだから
もう悲しむのはおしまいにしよう。
WE MUST LIVE」
We must live.
私達は生きなければいけない。
3月16日(木)に放送されたNHK「ファミリーヒストリー」の最終回。
特に鮮烈にに覚えていたのがこのエピソードでした。
先日旅立たれた方は残念ながら共演の機会はなく、お話もほとんどできず、
ただ先週土曜のJudas Priest「Painkiller」で本当に楽しそうに演奏されていたのが印象的で、
そして楽屋でにこにこと談笑されていたのも覚えていて。
私よりお若い方でした。
すれ違ったレベルの私がこれなんですから、ずっと共演されてきた方の衝撃と悲しみはどれだけなのかと思います。
私たちは生きなければいけないのだから。
ただこの言葉だけ書き残してゆきます。
また明日から、変わらずに、自分たちの道へ。