再開しました。
何通りかの方法でやってみたことはあったんですが、ことごとく失敗してる家計簿。
仕事の本を探してる時にたまたま見つけた「づんの家計簿」を参考に、ちまちま再開しました。
うちの場合超零細自営業なので、お財布から仕事のものを買うこともあり、売上から家のものを買う時もあり...なので、ひとまず「出ていくお金」の管理からかなと。
ちょこまかインスタにアップしていきますわ〜。
今日は寒いし、これだけ!
酒飲みのバラッド(違う)
大酒のみではありませんが、お酒は大好きな筆者でございます(*^-^)ノ
ただ飲む機会はものすごく減りましたね〜。
千葉で勤めてた頃は大体月一回ペースで職場飲み会があったし、仕事が終わってから最寄り駅まで出てバーで5〜6杯飲んでいい感じに出来上がって帰ったりもしたもんですが(汗)
(ちなみに当時も塾講師なので、仕事上がりは10時位です…)
本日はその頃飲んでた+今もあれば飲みたいお酒、羅列〜*\(^o^)/*
・ジンフィズ
バーテンダーさんの腕がそのまま出るというカクテル。
バーに行くと必ず頼んでたんで、そのお店の月間企画のカクテルチケットが
「〇〇さん(私)はジンフィズしかないでしょう!」と私の了承を得ず作られたレベルで(笑)
神戸に来てバーで頼んだこともあるんですけど、やっぱり本八幡のあのバーのジンフィズが一番美味しかったな〜。
・シェリー酒
そのバーで教えてもらったお酒。実はワインの一種。
トロっとした濃いめの甘口と、何となく日本酒に飲み口の似た辛口、両方好きでした。最近飲む機会なくて寂しい(T_T)
・キューバリバー(ラムコーク)
あまり細かなレシピのカクテルを頼めないライブハウスなどでよく飲むのがこれ。
名前の通りラム酒のコーラ割り。美味いんだこれが!
今年9月末、ライブイベント見に行った時に連続3杯これを頼んで、
「むちゃくちゃ好きですね!」と店員さんに覚えられてしまった逸話がございます( ̄▽ ̄;)
・モスコミュール
ライムとジンジャーエールとウォッカという、私の好きなものばかりで作られたカクテル♪
コレも本格的なバー以外で飲めることが多いんでよく頼みます。
ケイオンの二次会で連続4杯くらい飲んで
翌朝喉がカラカラになったこともありましたのお(^_^;)
ビールが苦手(ひと缶開けるのに一時間かかるw)なのと、
家でめったに飲まない事もあって、出かける場=発散の場=酒飲みの場。
これからも程よくお酒と付き合ってまいりましょ〜♪
ハイタッチ&「楽しかった~!!」
耳鳴りが前日夜になんとか治まって、んじゃ行ってきますかと参加したケイオンR40兵庫第2開催。
早いもんで今年のラスト(この会場では)ですか。
まさか1番手とは思わずで大慌てでメタル仕様のTシャツに着替えましてw
ぶれまくってますがこれですw
で…まぁ耳鳴りのせいもあって「防音はきちんとしないとまずいな」ってんで、
行く途中のYAMAHAで耳栓買っていきました。
歌っててちょっと感激したんですが、
耳栓してたほうが自分の声がちゃんと聞こえるんですね~。
(構造上当然っちゃ当然ですが)
…にしても音程不安定なのだけは出来る限り早くなんとかしないといけない(T_T)
間に鍵盤を2曲はさみ、
(逆に耳栓をしてたせいで自分の音がわからないという醜態を晒しつつorz)
自分の出番最後の1曲がアン・ルイス。
この曲、ずっと、
「振られた~。悲しい~。ドレスなんか捨ててやる~!」
とただ嘆いてるだけの曲だと思ってたんですよ。
よくよく聞いたら違いました。
何の理由があったのか別れたことは間違いない。
でもこの人は全然後悔していないし、
ものすごく吹っ切れてる。
あ、この人もう全然問題ないんだ。大丈夫なんだ。
そういうのがストンと腑に落ちたら、ものすごく歌いやすくなりました。
この曲は楽しんで歌っていいんだ。
大喜びまでは行かなくとも、嬉しそうに歌っていいんだ。
暑いせいもありましたが、EARTHSHAKERで着たTシャツを再登場させて歌ってしまいましたw
幸い会場の方も盛り上げてくださって大感謝。
ステージからはける時は
「いや~よかったっす!」
「こういう曲も行けるんやな~」
とお褒めもいただきまして♪
そして客席に帰ったとき、ハイタッチを求められて、
それに応じると同時に一言。
「楽しかった~~!!」
歌のあと心の底からこんなふうに思ったのはいつ以来だろう?
楽しまなきゃ楽しまなきゃ、と変に思い詰めてたのと、
叔母の他界の影響でいろいろ行き詰まってた感情を発散できたのかもしんないです。
帰宅して自分や他の方の撮ってた動画を見ると、まだまだ反省点改善点は山と積まれてるんですが、
師走に入って吹っ切れたのは私にとってはいい転換点になると思います。
てか、します。転換点に。
飲み会もものすごく面白かったですがw
おめでたい話も聞けたので、再来週はそれを酒の肴に飲むのかな?
「飲み会は2回に1回にしない?」というダンナの声をスルーして(笑)
ホントに楽しそうに。
明日がケイオン本番でございまして。
耳鳴り+葬儀のドタバタで歌の方の練習ができず、
事実上のぶっつけでございますorz
一応お昼にカラオケ入りますけど…。
歌う2曲のうち方っぽがコレ。
今思えば90年代のバンドブームに入る前、
あそこまでのハードな曲がゴールデンタイムのお茶の間に流れていた、
その功績を考えれば改めてアン・ルイスってすごい、と思うのであります。
そしてまた改めて見ると。
ものすごく楽しそうに嬉しそうに歌っているのです。
このアン・ルイスという方は。
私が中毒患者であると公称し、尊敬してやまないみゆきさんだって、
ものすご~くニコニコして歌ってるのです。
歌うことが本当に嬉しくて楽しくてしょうがないのだと言わんばかりに。
そしてご両人とも、その姿がかっこよくてかっこよくて仕方ないのです。
私にとってしてみれば。
それを生業として生きる身でないからこそ言えることなのかもしれないですけど、
歌も楽器も楽しんでなんぼなんだよなぁ、と。
気持ち的に一段落したから考えてもいいのかもしれないな。
私にとって楽しめる音楽ってのがどんなものなのか。
さーてそして明日は鍵盤も2曲。
先に楽譜(ただしピアノソロ)だけ入手してたこれは、
自分用の楽譜書きして、音色合わせて…を事前に少しでもやれてたのでなんとか。
問題はこっちで(^_^;)
馴染みのある曲だし、MIDIあったから楽譜作れた…けど、
♯3つのCmのコードは見てもとっさに弾けない(T_T)
時間ないどうしよう…と考えてたら、
移調しちゃえばよくね?
というヨコシマな考えが沸き起こりw
自分の鍵盤を持ち込むのをいいことにそれで楽譜作っちまいました(笑)
今回は急ごしらえだから許して~!(汗)
日常に戻り日常に追われ。
あっという間に過ぎ去っていった、葬儀の土日。
距離が離れてるせいでしょうか、週が開けてからあっという間に日常に戻りました。
多分これから帰省するたびに、じわじわ実感が湧いてくるんだと思いますが。
さて、何回か休まないといけないかも、と思っていたケイオンも、予定していたとおりに参加できそうです。
ただ当然のごとく練習は進んでいない(そんな気になるはずもない)ので、取り返すのにけっこう必死です。
ピアノソロの譜面しかなかったこの曲も、一応音源聞いてコーラスパート確認してキーボードの入る位置確かめて…。
音色確認まだしてないことにここで気がついたorz
12弦ギターで行けるか?とも思ったけど原曲はバクパイプらしく…どうしよ(^_^;)
木金土で取り返すか…開催が日曜日でほんとによかったorz
その後12月は2回控えてるけど、どっちも練習進んでないし(T_T)
12月16日に歌うこれは、一応ボイトレにてしごかれ中。
私のボイトレの師匠、英語ネイティブスピーカーですが、
曲を知らないその師匠の前で私が英語詞を歌って聞き取ってもらえるかどうかっていう、
スミマセンこれ英検ですかっていう練習が昨日でしたw
(英検1回も受けたことないけど)
はいm出せてないp出せてない別の単語になってる…などなど。
英語ムズいですorz(もともと得意でもないけど(涙))
日曜の歌う曲2つは…葬儀の前後から気になりだした耳鳴りのせいで
カラオケ練習いけてません…ぶっつけかもorz
せっかく歌う機会もらえたし、やりますけどね!
葬送
今週は事実上の休みだった火曜日から、もう動く気力も起きず、
ただ叔母の容態の連絡を待つのみでした。
仕事はとても行けず、結果ダンナにまるっと任せorお休みに。
来てほしくなかった連絡があったのは、まず金曜夜。
自宅近くに再入院した叔母の容態悪化の連絡で。
そこから一睡もできずに迎えた土曜、朝6時になる前。
母から電話がありました。亡くなったと。
私の自宅から叔母の家まで、乗り継ぎが上手く行ったとしても5時間。
とりあえず土曜日中に名古屋に入ることにして、移動しました。
↑これが土曜の夕方です。
素直に言いますと、訃報を受けたあとなぜだか力が抜けてしまい、
数時間寝入ってしまったんです。
後でこれを言ったら妹は、「きっとレイコちゃん(叔母)が寝てろって言ったんだわ」と。
夕暮れ時に名古屋に着き、実家に移動。
勝手に布団出して休んでて、という母の伝言に甘えて休憩してました。
母が帰ってきたのが10時頃だったかな。
あれこれ世話を焼こうとする母を抑えてとりあえず自室に引っ込ませ、
私たちも仏間で寝てました。
気持ちは妙に落ち着いてました。
余命1年とか、今月中とか伝えられたときのほうがよほど動揺してました。
翌朝。
進路決定に大きく関わる期末試験を翌日に控えた上の姪っ子は、義理の弟の実家へ。
母+私ら夫婦+妹夫婦+下の姪っ子で岐阜県某所へ。
鮎釣りもできる渓流の町へ。
従兄弟たち+その娘たちとも合流。
母たちはよく顔を合わせていたとはいえ、こんな形で、
しかも母の末の妹である叔母の葬儀とは思いもよらずで。
66歳、でした。
6人兄弟の2番目である母が76歳なんで、年齢的に不思議ではないんですが、
もっともっともっと、見送るのは先のことだと思ってました。
母の姉妹の中で、一番良く笑う人でした。
息子(私たちの従弟)を女手1人で育てた苦労人のはずなのに、
まるでそれを感じさせない人でした。
…こうやって改めて書き出すと、寂しくなりますね。
そっか、もういないんだ…。
本当に慌しい、あっという間の二日間でした。
いま自宅で落ち着いてると、夢だったんじゃないかと思えるほどの。
父のときもそう思ってたけど、現実なんですよね。
きっと後から現実味が増すんだと思います。
「ありがとうって言ってきます」とFacebookに書き込んで出た土曜日。
眠る叔母を前に、何も言えなくなりそうになった告別式。
崩れそうになる母をとっさに支えにいった出棺前。
そして帰宅してPCに向かう、今。
また明日から日常が始まります。
先週まともに動けなかった分を取り戻しに。
何一つ悔いなく終わる人生などないでしょう。
ならばせめて、それを出来る限り少なくできるように。
先に行った人に顔向けできる自分でいられるように。
生きます。約束ですから。
ありがとうレイコちゃん。
私は、大丈夫です。
二週間
あー!もういいや、ここには書いちゃえ!
叔母が余命宣告されてます。
今月中だろうと。
今月中だよ!二週間しかないよ!
予告無しに行かれるのもきついけど、なんでそんなにあっという間に?
悲しいのをぶつける所もなくて、
楽しい場所にいてもすぐ感情は戻って、
次の時私はここにいないかもしれない、って考えてしまうのと、
そんな自分勝手なことばっか考えてっていう自己嫌悪と、
もう何も考えないでおこうっていう逃避と、
なんかもう、ぐっちゃぐっちゃ。
向こう二週間のうちに来るっていうその日に、絶対冷静でいられるはずないし、
母たち(叔母は母の末の妹)は間違いなく私以上にひどかろうし、
頭は痛いし重いし、なんかもう...。
冷静さをください。穏やかさをください。
せめて静かに送り出したい。
時間が、時間が無さすぎるよ...。